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深く広い川の話

いつまで一体こんな話をしているんだ、と自分でも思うんだけど。

すごくすごく、気分を害する話です。
特に親子仲がいい方なら尚更。





ここでも時折愚痴っている、私と私の母の話。

諸々事情があって、私と母の間には、深くて幅の広い川が流れている。
子供の頃はどうにか距離を近づこうとその川を渡ろうと試みたけど
その度にその川は深くなり、川幅が広がり、いつからか私ももう
無理してその川を渡ろうと試みるのもやめるようになった。

それでも母は『さぁあんた、頑張ってこっちに渡っておいでよ』と笑いながらも
その目は全く笑ってなくて、まるで私の精神力を試しているかの如く。
でも母もわかっている。母自身もその川を渡る気もなければ橋を架けてやろうと
いう気持ちも全くない。

だからお互い、どことなく距離感を保ちながら、お互いがそれぞれ
傷つかないようにとその川の両端に立っている。そんな間柄。
その距離感が縮まらずにそれぞれの人生が終わっても、別にそれでいいのだ。

なのに最近、その川に橋を架けようとしている人がいる。
夫だ。

夫の母と夫の妹は、私から見ると異様なぐらいに仲がいい。
そういう関係性を持った事のない私が見るから余計にそう思うのだろう。
『私達は一卵性母子。お互いがいなくなったらもう生きていけない。』という
程の仲のよさ。
夫にもそういう一面があるので、きっと夫は夫の母を亡くしたらもう抜け殻のように
なると予想できている。
実際、夫の父を亡くしてからの夫は『どんなに頑張っても、親父みたいに死んでいくんだぜ。
もう頑張ったってどうせ無駄。』というところがあるので。

なので私と母のようにキリキリとした関係性を、どうにか自分の母妹のように
紡ぎたいと・・・いつからどうしてそう思ったのだ?

やめてほしい。もう無理してそんな風にそれぞれの距離感を縮めないでほしい。
私ももう自分を無理してでもその距離感を変えようなんてのも無理。精神力が
もうついていかないのだ。



実家にいた頃の私は、いつも父と母の、いつどう変わるかわからない気分を
察しながら目の色伺いながら生きていた。特に母は私にそれを望んでいる
ところがあった。かなり深く。

『お父さんを怒らせないようにしてね』
『私の気分を害するような事しないでね』
『私の手を煩わすような事しないでね』
これが実家での母からの私に対しての暗黙の指示だった。
それが『あなた(私)が家族として生きていくためのマナー』だとも言っていた。

思春期の頃は本当に自分がいつか本当に壊れるんじゃないかと思っていた。
母の代わりに私を育ててくれていたおばあちゃんがいなかったら私は本当に
壊れていた。
母の機嫌を伺いながら神経すり減らしてあちこちヒビが入っていたから、
これ以上壊れたくなかったから、高校卒業を機に家を出た。
おばあちゃんの事が心残りだったけど。
できるならばおばあちゃんを連れて出たかった。

家を出る時の、母の一言が忌々しいぐらいにこびりついて離れない。
『いつだって自分勝手で、自由奔放で、身勝手だね。』
私の自由なんて、母の元ではなかったのに。
いつだって母の機嫌が悪くならないように、家のことも親戚との付き合いも
子供なりに一生懸命やっていたのに。

なのにその私の一生懸命は、母にとっては全く不十分だったことだったんだ。
『足りない』子、だったんだと自ずと悟った。
そもそも、私が女として産まれた事が父と母にとっては『至極足りない』事だったと
いうし。
どんなに頑張ってみてももう駄目なんだから、これからは私のために頑張ればいい、と
自分を慰めてみた事もあった、何回も。

これ以上変えようがない。どんなに私が頑張っても母の気分屋は変わらない。
私がどう頑張ったところで母の気分1つ、なところは、私にはどうしても変えようがない。
そう思った時、もうこの距離感でいいと思っていたのに。
ある種妥協しているところもあるのに。

頼む、本当に私と母は夫が望むような間柄にはならない。

夫よ、もう無理して紡ごうとしないでほしい。

by haru-livre | 2018-02-02 11:22 | おはなし

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